ブログの更新が一年ごとになってしまっていますが。
それも夏が終わりゆくこの季節。
今年も息子はロボット教室の全国大会へ出場しました。
小3の時から3年連続出場し、小6の今年は4度目。
なぜここまで毎年やれるのか。
おそらく、小3で初出場したときにいただいたMVP賞の感動がくっきりと心身に刻まれて、忘れられないからなのかなあ。
https://www.youtube.com/watch?v=6QoywPAAPMo
でも。今年はスタートでつまづいていました。
いつも4月ぐらいからアイディアロボットの構想を練り始めるのですが、なかなかうまくいかない。それでも頑張ってかたちにして動かしていたのを覚えています。
ところが、ある日突然、ロボットに触らなくなった。
「作らなきゃ、と思ってつくるのは辛い。つくりたいものをつくってる気がしない。」
そう言って、部屋の隅にうずくまって静かに涙をこぼしていました。
「・・でも、大会には出たい。大会を諦めるのはもっと辛い。」
しかし。部品にさえ触れない日々が続き、教室の先生も「ロボットは楽しんで作ってほしい。それでいいものができる。またやりたくなったらやればいい。今は無理しなくていい。」と言ってくださり、しばらく息子の様子をただ見守りました。そして、そのまま作りかけのロボットが動くことはありませんでした。
そんな中、6月最後の教室で、他の生徒さんたちがロボットのレース競技に挑んでいる姿を見て、それがとても面白そうだった、久しぶりにロボットをやってみたい!と思ったそうです。
レース競技は、キットケースの上に置かれた人形パーツを取り込んで決められたラインまで走るロボットで、スピードと人形を取り込む正確性を問われます。
全国大会へ出場するためには、まずは地区大会を突破しないといけません。その日に向けて着々とロボットを仕上げて、最高記録は3秒80。
しかし、忘れもしない地区大会前日。
土壇場で息子はロボットを大改造しました。確実性を増すためだったと思うのですが、夜中まで一度も人形の取り込みに成功しないという大ピンチ!
夜明けは刻刻と迫る中、息子はほとんど寝ないでロボットの調整をし、本当に出発時間ギリギリに間に合わせたようです。
地区大会では3回チャレンジできて、その中の最高スピードで勝負するのですが、息子は見事3回とも成功し(その数時間前には信じられなかったこと)、スピードも4秒05で2位で予選通過。
関西の精鋭49名で争われた結果、上位3名が全国大会へ行けることになり、なんとかその中に入ることができました。
「全国大会へ出るからには絶対に優勝する!」
11年間、穏やかな性格だと信じていた息子は超が付くほどの負けず嫌いで、闘争心が半端なかった。
同じ教室で一緒に切磋琢磨して頑張った友達が、最高スピードをマークしていたのに人形の取り込みが上手くいかず予選突破出来なかった、その悔しさを目にして
「優勝したとき何か聞かれたら、Yくん(友達)ありがとう、っていうねん。」
それから全国大会まで約1ヶ月、ロボットの改良、練習を重ね、目標としていた3秒20という記録を達成。コンマ1秒を縮めるために軽量化したり、タイヤのゴミを綿棒で綺麗に掃除したり。その緻密な整備は、F1レーサーか!と突っ込みたくなるほどでした。
そして迎えた8月24日の全国大会。
競技前に30分ほど実際のコースで試験走行できるのですが、会場となった東大の安田講堂の舞台は、、歴史という時間が刻まれているせいなのか、手前に行くにしたがって傾斜が付いていて、走るコースによってプログラムを調整しないと人形を取り込めないことが判明。
奥のコースで成功しても手前のコースで失敗、見ていてそれは明らかでした。
ロボットをセンサー式にしていれば問題なかったかもしれないのですが、コンマ1秒縮めるためにセンサーは付けないと決めていました。
そんな中、調整する焦りもあったのか、練習中に他のロボットと接触してしまい、本体が半壊。必死で修繕するも、練習時間が無くなり、手前のコースを再度試すことはできませんでした。
開会式が始まってからも、息子は壊れたロボットを修繕していました。
レースは約10分後。決勝トーナメントの予選であり、それに勝たなければ決勝に進めません。
私は、もうその時点で心臓が半分に縮んでいたので見ていられなかったのですが、
夫曰く、予選をぶっちぎりで完走したそうで、それを聞いたとたん全身の力が抜けました。
予選は奥側のコースだったので、息子もいける!と思ったそうです。
しかし、決勝トーナメントで、息子は手前側のコースになっていました。
新しく組み直したプログラムでうまくいくのか、賭けだったそうです。
夏休み、何十回も練習してきた勘で、スタートラインも規定のラインから指4本分、あえて後退させていました。
それが功を奏し、なんとか準々決勝を突破、次の準決勝も勝ち上がりました。
しかし、準決勝のとき、人形を取り込む際にゴムのアームが壊れてしまい、決勝ではあまり馴れていないスペアのアームを使うことに。
↓アームが壊れた瞬間を見て
そして。とうとう決勝戦。
いろんなアクシデントをクリアして勝ち上がってきて、あと一歩というところ。
準決勝までは手前側のコースだったのですが、決勝は奥側のコースだと思ってプログラムを元に戻しておいたら、直前に手前側のコースであることが分かり、審判の方にプログラムを書き換える時間をいただいて再調整。
対戦相手は、安定した早い走行で人形も確実に取り込む秀逸な選手。
落ち着いていて、走行前のロボットのセッティングも美しかったです。
スタートまでのカウントダウン。
会場が1つになって5、4、3、2、1、と唱えてくれました。
そして。
その4秒後には、勝者と敗者が分かれて立っていました。
息子のロボットは人形を取り損ねて失敗。対戦相手のロボットは文句なしの成功。
勝った選手は優勝インタビューのとき、隣で打ちひしがれている息子の姿を見て、なんだかやるせないような、優しい目で見てくれていました。
優勝した選手に、心からおめでとうございます、と言いたかったです。
・・・悔しい思いをして、また次の目標が出来たのではないかと思います。
優勝できなかったことよりも、自分のロボットが最後に失敗したこと(自爆、と表現していました)が一番悔しかったそうです。
来年が参加できる最後の大会になります。
中学生になっても挑戦するのか分かりませんが、小学生時代の夏はロボットに始まりロボットで終わりました。
いつか大人になったとき、その時の喜びも、噛みしめた悔しさも、懐かしく思い出されるのでしょうか。
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